Vol.007 ~ 中庸の本質

昨今、政府、自治体や企業では、「行政改革」、「組織改革」と銘打って、組織改革を打ち出してきています。その目的には、人件費の削減のための組織のスリム化や、過去の歴史の中で作られたが現代社会には足枷となる制度や手続きを撤廃し、組織運営を効率化すると共に、当然ながら現在の社会環境にあった組織にすることが目的に必ず含まれています。
我が国のもっとも大きな組織は、政府であり、これまでも行政改革がうたわれ大きな改革が何度か実施されています。かつて土光敏夫氏が会長をつとめた「第2次臨時行政調査会」(土光臨調)などを記憶されている読者も多いのではないでしょうか。土光臨調は、昭和56年(1981)に設置され昭和58年(1983)に解散するまで5次にわたって答申を提出。「増税なき財政再建」を達成するために、三公社(日本専売公社(現JTグループ)、日本国有鉄道(現JRグループ)、日本電信電話公社(現NTTグループ))の民営化などの大ナタを振るいました。小泉内閣における郵政民営化、中央省庁の再編も同様の組織・業務改革と考えられます。
そうした大きな組織改革や制度改革は幾度となく行われてきましたが、意地悪な見方をすれば、現場の人間にとっては、それによって何か具体的な手続きの変化を実感する(改善を実感する)ことは、あまりなかったのではないでしょうか。なぜかといえば、看板は変わったけれど店員や手続きは以前と変わらず結局依然と同じ店でしかなかったなど。
得てして、大きな組織や制度の変化をさせたとしても、全てをゼロから作るのではなく、看板の変更に併せて、今まであったパーツの組み合わせを変えたことによって、実際に行われる窓口等の手続きは依然とほぼ同じとなってしまうために、現場ではこのような感想を持たれてしまうのでしょう。
これらのことからわかるのは、色々な障害の解決は、組織や制度の大きな部分にあるのではなく、それを運用する細かい部分によって左右されるということです。また、ルールとして明文化されている部分ではなく、個人の判断にゆだねられている部分に、障害の本体が巣食っているのです。個人の判断は、個人の考え方や性格にも関連することから、これを制度が変わったからと言ってすぐに変更させることはなかなか難しかったりします。特に意味が何通りにも取れるような玉虫色の文書(霞が関文学)で書かれたものは、個人の経験に基づく判断に依存することが多いことから、それらを改善させるには、大きな改革の真意を理解しそれをそれぞれの業務に反映していくために、永い時間がかかってしまうのです。
では、事細かに明文化すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そうすると今度は、遊びがなく画一的な条件以外は受け入れない、いわゆる言われたことだけしかやらないお役所仕事しかしなくなってしまいます。
原理主義的な極論は、理屈だけで説明がつくディベートなどでは面白いかもしれませんが、多種多様な人がいる世の中で、真意に基づき、個別の個々人にあった形で運用し、国民や顧客の満足を最大ではないにしても一定量を確保するにことはできないと思います。
まさに、真意を理解したうえで「中庸」であることが求められるのです。中庸とは、物事の中間や平均値を言っているのではなく、判断するにあたってどちらにも偏らず、そして常識的に理解できるものであることです。
このような、「中庸」をそれぞれが理解することまでを含めた改革が真の改革と言えるものと考え、改革を目指す皆さんには、そこまで思いをはせていただきたいところですが、実社会では実現できていないため、依然として改革前と同様またはそれ以上の障害が横たわっているのが現実です。
本質的な問題がどこにあるかを掌握した上で、真に目的とすることを達成するために強かに対応していくことが、これからの社会にとって重要なのではないでしょうか。


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