Vol.009 ~際の文化(滲む力)

「際」(きわ・きは)を辞書で引いてみると、「もう少しで別の物になる、その物のすぐそば。すれすれのところ。ある事のすぐ前の時」と出る。実際のところ、思いもよらない異なる事象の影響が新たな事象を織り成す出来事は世の中にたくさん存在している。

例えば、「書」や「水墨画」における「際」の「滲み」が「書」や「水墨画」に与える奥行や、印象など。ある事象における際の滲みの心象作用として、解りやすい。

墨を用いて「書」や「水墨画」を書いたり描いたりすると、墨の濃さや、墨に含まれる水分、和紙などの繊維によって、書家や、日本画家が意図しない、コントロールできない滲みが「書」や「水墨画」を描くときに描かれていく。その滲みは、時として徐々に薄くなっていくグラディエーションになっていたり、時には本来の線の滲みとして、輪郭としての奥行きとなっていったり。

「書」や「水墨画」におけるそうした世界感は、輪郭がはっきりとしていたり、意図的に輪郭をぼかしていたりする西洋画とは一線を画するものである。

陶器や炻器(せっき)そして磁器をはじめとする伝統工芸の「焼き物」の世界にも同様に、釉薬が窯焼きによって織り成す、人がコントロールできない偶然によって模様を織り成すことによって、その焼き物に深みや凄みの一因を宿し、独自の世界感を形作っているのである。

この「滲み」の世界感は、人の「言葉」、「文書」、「行為」、「活動」等にも通じるものがある。

日常の生活の中においても、一般的に印刷の絵や、既製品の色の配色のような雰囲気を感じてしまうことが多い一方で、同じことを行っていても、ある人からは「書」や「焼き物」と同様に深みや凄みを感じるということはままあることである。

しかし、人は、印刷された絵や、既製品の陶器とは異なり、「研鑽」という言葉に裏付けられた、気付きと邁進により、周囲からの「感じられかた」に時とともに変化を促すことができる。今までわからなかったことを理解し、理解した内容に基づき自らを変えていくことができる。

つまり、常に「高み」を見て、このような、「滲み」を持つ人材と共にいることによって、自らも刺激を受け、邁進し「滲み」をまとう何かを手にすることができるのである。

「滲み」を持つ人たちが集まるということは、互いの「滲み」が前記した「書」や「水墨画」の滲みのように相互に影響しあい、音で言う処の「うねり」を発生させる。

「うねり」はまた、一人ひとりの響きが相互に影響しあい、個人では出せないような強さへと成長していく流れをつくることもできる。そしてまた、個々に異なる個性の滲みが新たな深みや、凄みを形作るのである。

さあ、皆さんも周囲を見渡してほしい、そして自分をよく見てほしい。あなたの周囲には、どんな「滲み」を出している人がいるだろうか。そして、あなたは、どんな「滲み」を持っているだろうか。

それを見渡し、感じるように意識することが最初の第一歩なのである。



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