Vol.010 〜形から入り、形だけで終わる

このところ文部科学省では、学士、修士、博士等の学位取得者を増大させるとして対策を講じてきています。それは国家として国民の教育レベルを向上し、優秀(高学歴)な人材を多くすることで、科学、産業、文化等における人材面での強さを持つことを目指しているからです。

これは至極当然の政策であり、一独立国家においてその保有する資源の有無に拘わらず、優秀な人材というのは、ありとあらゆる意味で最も重要な要素であり、国家を強く為すための重要な要因であることから、我が国にとって必要なあるべき取り組みだと思います。

このような対策を脈々と講じることによって、国を強くする政策を進めているわけですが、そうした教育方針のもと育成される人材が、国を強くするという目的に寄与することができるのは、本人の肩書に合致した中身(能力)を有していることが一番大事であると付け加えなければなりません。肩書に釣り合う中身に到底達していないような人材では、その役割を遂行しようとすればするほど張子の虎となってしまうことは、火を見るよりも明らかです。今回はこの視点を掘り下げてみたいと思います。ここで触れる「中身(能力)」とは、他者の意見になびくのではなく自らの視点で状況を判断できる力をもつことだったり、先例を作ることができる創造力をもつことであったり、困難を突破する行動力や物事を成し得るために必要な諦めない力をもつこと、になります。

何を論点にしたいのかと言いますと、真の中身をもつ人材を輩出する育成環境を創出するという側面において、現状の取り組みにおいて、ある明確な課題があるということです。実際には、Vol.006でも触れたグレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する。)により育成環境が理想からどんどんと遠ざかってしまっている現実にまずは目を向けなければなりません。実力を正しく評価する内側へのケアの視点をきちんと構築していくことこそ、真の優秀な人材を生み出す環境づくりへの着実な一歩につながります。ただの数合わせではなくて、将来の我が国を支える人材を名実ともに育てていくために、本人の特性を本人も周囲もきちんと把握したうえで、本人の得意とすることを最大限伸ばしていくためのシステムを創っていくことが重要です。そのためには、指導者においても適切に指導ができるようにする環境を政策主導で構築していくことが重要です。各先進国が抱える移民問題やポピュリズムと経済至上主義との対峙が引き起こす域内経済という概念の塗り直しが生じているわたしたちのこの時代において、日本も悠長なことをしている場合ではないということです。

技術の均霑化によって今後、世界は製造者が富を得るのではなく、コンセプトやアイデアを考えシステム化できる者が富を得るように変わってきています。製造業であったとしても、我が国のような物価が高い先進国環境においては単純コストという側面で競争力を発揮するのは困難であり、他にまねできない技術を有することが必要となってきていると言わざるをえません。このような世界の変化に受動的ではなく、能動的に対応するために私たちは、頭をもっと使わなければならないと思います。

そうした課題に対応できる真の優秀な人材を育成する環境構築への歩みにおいて、現状の課題のいくつかは明確です。例えば、文部科学省は、大学等の研究者の評価に、査読付きの論文数だけではなく、特許出願数も評価の指標としています。特許は御存じの通り商業ツールです。この商業ツールを研究者に要求し、そして、その内容ではなく申請した数を主に評価を行うこととなったということであれば、論文も特許も双方とも数が多いことイコール能力が高いとなってしまいます。つまり、内容を小出しにしたり、商業価値が低い内容も特許出願したりするという状態が生まれる悪循環がここにあります。これに加えて、例えば独立行政法人は、5年間の目標を設定し、中間評価最終評価を行うのですが、その中間、最終評価には1年程度かかってしまうことも珍しくなく、単年度の結果を毎年調査することによって短期間で件数を稼いでおくことが求められてしまうことも、こういった傾向を助長させています。長期的な結果と短期的な結果は、ときとして相反するときが多々あります。これは既知の資本主義経済における市場経済・市場システムでも言えることです。

ですので、優秀な人材を輩出するしない以前の課題として、まずは、優秀な人材を作り出す仕組みを作る側の社会が、能力の拡充ではなく、それぞれの学位の数がいることを予算取りのために誇張してきてしまった慣習に縛られていることから、まずは注視しなければならないと思います。たしかに官僚の世界では、獲得した予算額が多ければ多いほど評価が高くなります。この慣例は、文部科学省であっても同様であろうことは推測に難しくありません。

私たちの国で優秀な人材を育成することが急務なことは誰も否定しないでしょう。そのうえで、創造と結果への時間軸のこのバランスを取ることこそが本当にこの社会において必要なことであり、皆が考え取り組む課題ではないでしょうか。

 



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